「志望する」ということの意外な重み
どーもー!こんにちは、ちゃっきーです!
ついこの前まで暑かったかと思えば
九月も半ば、もう冬期講習の申し込みです。
そこでパンフレット片手に悩んでいてふと気づきました、「何で悩んでるんだろう」と。
どの講座を受けるか悩んでいたのですが、気がついたらプランA、プランB、、と色々プランを考えていたのです。それも大学別に。。。
勿論、志望校は東大です。変わりません。
要はここに来て弱気になっていた訳ですね。
冠模試を受けるくらいなら「腕試しだ」が通用しますが 講習に申し込む、出願する、これらをする時には「志望する覚悟」が必要な訳です。
…と、自己分析してみたところで
「志望する覚悟」ってなんやねん。と。
僕の場合、
自分の学力より東大はかなり上なので
当然、ボーダーライン的受験になります。
なので、
・「死ぬ気で努力する覚悟」
・「努力して落ちても受け入れる覚悟」
が必要になる訳です。
そしてそれらを加味した上で
「志望を変えない覚悟」が必要なんだなあと
あえて言うなら
「臆病な自尊心」との闘い ですかね。
「まだ先のこと」としてではなく、
具体的に「変えられない」ようになる時に
「志望する覚悟」って案外重くのしかかるんだなあと感じた1日でした。
あ、勿論ここまで来たからには受けます。
良くも悪くも人生一度きりですから。